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山田耕平さん紹介(ブログ)
元、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員。村落開発普及員としてアフリカのマラウイ共和国に赴き活動していたが、HIV/エイズの問題の深刻さを感じ、予防啓発のためキャンペーンソングをつくり、ミュージックビデオ(「ディマクコンダ」)が現地で話題、マラウイのヒットチャートで1位になる。現地のレコード大賞にもノミネート。大ヒットとともにHIV/エイズ検査に行く人が増え始めた。
曲は、NDIMAKUKHONDA(ディマクコンダ:愛してる)」 <ミュージックビデオ>あるカップルのストーリー。偶然出会って恋に落ちた二人。彼が彼女を想う気持ちから、「HIVの検査」を受けにいく。検査の結果、彼は陽性であると(ポジティブ)告げられる、、、。
山田耕平さんが作詞、マラウイの人気歌手ムラカ・マリロさんが現地のチェワ語に訳して作曲。歌は山田さんが現地語で歌っている。
山田さんは、2006年4月に任務を終えて帰国。愛知県在住。

今日も講演会の様子をテレビ局が取材に。

山田さんも一緒にワークに参加

各チームのプレゼンテーションにコメントをされる山田さん、次なる課題も話される。

「HIVは潜伏期間が長い。まだ目に見えていないだけ。日本の高校生を中心にこれからアフリカのことも含めて話をして、HIV予防啓発をしてゆきたい。時間の問題です。若者達の間で性病が蔓延し、ピルも解禁、コンドームの消費量も減った。爆発する要因はそろっているんですね。被害者が出始めてから対策を立てても手遅れです。」
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一新塾では春と秋に何度か公開講座やワークショップを行っています。
5月15日に行われた「山田耕平さんの講演&ワークショップ」は参加者の方々の気持ちと山田耕平さんが一緒になって「アフリカと日本のHIV/エイズへの意識と未来」を考え、山田さんの体験やビジョンがしみわたる場となりました。4つのグループでワークショップを行いましたが、短時間にもかかわらず、どのチームからも多彩で具体的名なアイディアが出てきて、山田さんを驚かせました。
山田さんが一新塾で講演されることになったいきさつは、第11期の塾生・中山嘉人さんからご紹介です。マラウイ共和国にて中山さんがお仕事をされていたのですが、そこで山田さんと出会い活動に共感されました。そしてぜひ一新塾で力になってほしい、というお話をお受けしました。この4月に帰国された山田さんは早速一新塾に訪れ、一新塾の事務局長(森嶋)に自らの志とNPO設立の未来に向けて話をされ、「講演会&ワークショップ」で同志を探そう、ということになりました。
一新塾では塾生が旗を立てる(政策提言、社会起業、市民プロジェクト等)と皆で活動支援のワークショップを行い、道を探し同志を得る、ということを日常的に行っておりますので、すでに社会変革の活動をされ、次なるビジョンも明確に持たれている山田さんのお役に立てると確信いたしました。
■当日のスケジュール
○山田耕平さん紹介映像
○ミュージックビデオ「ディマクコンダ(愛してる)」
○講演と質疑応答
○一新塾方式ワークショップ
「テーマ:山田さんと、この歌で日本でのHIV/エイズの予防対策を
広めるには、どんな方法があるだろうか」
→各チームのプレゼンテーションと山田さんからのコメント
○山田耕平さんからの総括とメッセージ
■講演内容(一部)
【青年海外協力隊としてアフリカへ】
私は、最初から歌をつくろうと思っていたのではなくて、新卒で青年海外協力隊としてマラウイに行きました。現地の村に入って村落開発普及員として現金収入向上の要請に応えるプロジェクトを現地の農民の方々と共に行いました。2つのプロジェクトをやりました。
現地で1年したら、生活にもなれ、友人もでき、仕事にも慣れてきて、コミニティにしっかり入って、マラウイの色んな現状が見えてきました。その中で多くの死を目にすることになりました。その中でも一つの大きな原因がHIVエイズでして。その深刻さが目に見えるわけです。
日本にいて、HIVエイズ、今唯一先進国の中で新規感染者数があがっているのが日本と言われていますが、だからといって皆さんのまわりで、友達の中でHIVエイズに感染されている方っていないと思うんですけど。マラウイでは非常に多いんですよね。自分はエイズだとは言わないですけど、日々、非常にお葬式が多いわけです。
自分の友人でも急に痩せて体にボツボツが出てきていたので、「HIVポジティブかもしれないから、調べにいったほうがいいよ。今は死ぬ病気じゃないから。治療薬は順番を待てば、順番がまわってくるから。奥さんも娘もつれて行ったら?」と伝えました。彼も奥さんもポジティブで二人の赤ちゃんも一ヵ月後に亡くなってしまいました。そういうことが身の回りでおこっているわけです。
私は若者たちにも、エイズの話をしてゆきました。マラウイでは情報にアクセスできる人と出来ない人がいます。村の奥地にはいるとエイズの存在すら知らない。知っていても偏見があったりして検査に行かない。
【歌を作って、伝えたい】
そんな中で「エイズの歌をつくったらおもしろいかな。」と思って動き始めたんですけど。こういういいお仕事ができる時は、非常に多くのよい仲間がいるんですよね。一人は、マラウイのトップアーチストの方でムラカ・マリロという方ですが、彼との出会いが一番大きな出会いでした。彼が僕の任地にコンサートに来た時に、彼の歌が大好きだったので歌を覚えていて、外国人の特権でちょちょっと舞台に上がって一緒に歌ったんですね。電話番号を交換して。その時はそれでおわったんんですけど。
ある日、エイズの歌をつくったら面白いなと思った時に、僕が歌詞をつくって彼のところにもっていったんですね。一緒に歌わないか、と。そしたら二つ返事で「いいよ」と。全部チャリティーでやりたいって伝えたら「曲はつくってあげるから、おまえ一人で歌ったらどうか。」と。で、レコーディングしました。彼のおかげで本当にいい曲をつけていただいて。マラウイの曲は全部明るくて、踊れる曲がみんな大好きで、マラウイの方は曲聴きにくるというよりかは、踊りにくるという感じなんですよ。それが非常に受け入れられた点だと思います。
【お金をかけずに歌を広めるには?】
それから、絶対ミュージックビデオも創ろうと思っていました。というのは、マラウイは経済が発展してませんから、民間企業は非常に少ない。テレビ局は1社ありますが、コマーシャルがないので番組が創れないわけです。でもテレビは24時間やっているわけです。じゃあ何をテレビで流しているかというと、ミュージックビデオを流しているんです。もし、エイズの予防啓発のコマーシャルを流そうと思ったらお金がかかるけど、ミュージックビデオだと著作権使用料が入ってきてなおかつ、僕の歌が6分流れるわけです。これは、いい面白い媒体だと思いました。
ちょうどそのタイミングで、僕もついているというか、協力隊として元・テレビ局でカメラアシスタントをしていた新田君がやって来ました。で、協力してよ、と。ミュージックビデオを創るのを手伝っていただきました。右も左もわからない彼をマラウイ中引き回して(笑)。まず、主役のカップル役の俳優を選ぶために、マラウイ大学に行って声をかけたりしながら、一番僕のイメージにあった女性に決めました。相手の男の子は、その彼女に紹介してもらって決めて、新田君と撮影をしました。みんなボランティアで一緒にやっていただいたわけですが、ボランティアだけでもああゆう作品が出来るんだなと、すてたもんじゃないなと実感しました。
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