一新塾講義録(2003年11月12日19:30〜21:00)
「役所は変わる、もしもあなたが望むなら」
 村尾信尚氏
(NPO「WHY NOT」創設者)


■大蔵省から「三重県総務部長」として出向

県の総務部長として大蔵省から出向した当初(1995年)は典型的な役人だったが、当選したばかりの北川知事と「生活者とはなんぞや?」の議論を何時間も続ける日々約半年。
そこに、大事件が起きた。平成8年の全国市民オンブズマンの調査に端を発する出張命令の情報公開の際、「三重県カラ出張発覚」。総務部長として対応をせまられた。県民からの脅迫状、マスコミ。そこで、すべての今までの「カラ出張」を洗い出し、部長以上の人間で徹底的に議論。問題の根源をお互い話せば、問題の根源は国と地方の上下主従の関係に行き着いた。実態と合わない予算では、応接セットやパソコンさえも買えなかったのが現実だった。しかし、結局11億円を10年かけて皆で返済することになった。どんな理由があろうと納税者は許さないことはわかっていたからだ。この出来事を通して「納税者の反乱」を肌身で感じ、これからは、身内の論理ではなく、納税者(住民)の論理で役所の行政改革に本気で取り組まなければと実感した。

その後、知事の命による海外視察でさまざまな衝撃を受けた。イギリスでは、市民をcustomer(カスタマ−)と捉え、市民に提供する具体的なサービスの質を保証するcitizen charter(市民憲章)があった。「納税者はカスタマ−」であり、文句を言う権利があるということだ。カナダでは、6つのテストで予算を査定していた。1.公益性、2.税金で行う必要性、3.連邦政府で行う必要性、4.外部委託の可否、5.費用対効果、6.優先順位。すべてをクリアしてこそ予算がつくのだという。情報公開と裏腹にあるaccountability(説明責任)の重要性を痛感した。
共に、海外視察に出向いた他の三重県庁の職員たちと毎晩意見交換を行う中で、職員の中に「明日の三重をどうするか」という気持ちが高まり、異国の地で幕末の志士のような気持ちで行革への意志が固まりつつあった。

■三重県の行政改革
平成9年度の1年間で県政の本格的な行革を断行する決意をし、縦軸に6月議会、9月議会・・と時間を横軸に市民、県議会、利益団体とアクションの対象をとったマトリックスを作成し具体的なアクションを考えて総務部長として行革に取り組みはじめ、アクションをおこしていった。既得権益に切り込むことで反発にもあい、身に危険を感じることもあった。カラ出張問題の時は、県民から脅迫状が来たが、行政改革を始めたら、今度は職員から脅迫されるようになった。

この経験からわかったのは、行政改革に大切なのは、「徹底的に追い込める、しがらみのない人材」を中枢に置くこと、ツールは「 情報公開と説明責任」に尽きます。私は三重県の275の事業を廃止検討対象事業としてを公開の場で1本1本必要性をたたかわせることで202廃止することができました。これは、情報公開で成功したものです。ポイントは席の後ろにテレビカメラと新聞記者、県民(住民)を後ろに置いて行ったこと。素晴らしい議会になりました。行政改革、財政再建、既得権益に対して挑む場合は「情報公開」を徹底すればできるのです。納税者に対して説明責任のないものは切っていかざるをえない、崖っぷちまで追い込むことができます。しかも、情報公開は公務員の身分を守ります。ブラックボックスの中で無理難題を求められた公務員が一人悩んで自殺したり職を負われたり、そのような方をたくさん知っています。でも情報公開していれば、そんなこともなかった。

ある時、部での議論の時に「村尾、この行革は大量の出血をともなうぞ」という批判を受けましたが、その時に若手職員が「しかし、その中には一滴も納税者の血は混じってはいません」と言った。驚いた。本当にリスクをとる職員が出てきたのです。その後、職員は知事に直談判をし、「農林水産部の廃止及び産業経済部への統合」を県議会へ提案までしました。
私が他に取り組みをしたことは「説明責任」という観点から、全国で初めて、複式簿記、バランスシートを導入です。納税者に対する説明責任のために。あとは、役所のサービスの質を向上を目指して「新しいサービスの選択の仕組み」を考えました。

■大蔵省で働きつつ、NPO「WHY NOT」設立
大蔵省に戻り、主計官をやりながら、私は日本が沈みゆくタイタニック号にしか思えなくなってきました。タイタニック号の中で既得権益を持っている人間がまだ一等船室をめがけて走っている。そこで、住んでいる狛江市で主婦たちを集めて勉強会をしました。「こんなことでいいんでしょうか?市民の力で役所をを変えていきませんか?」と呼びかけたが、「どうせ世の中は変わらない。そんなドン・キホーテのようなこと言っちゃダメ。」と言われた。その時に初めて『これこそ、本当の危機だ』と感じました。我々自身がこのように思っている事が、危機だと。そこで納税者のための行革推進ネットワークであるNPO=選挙公約は有権者が作る、公共サービス供給申込書を市民の手で作成するという任意団体『WHY NOT』を立ち上げたのです。オーダーメイドで公共サービスを納税者が選挙公約を作るのです。

■2003年、三重県知事選出馬 
「口先だけじゃないなら、納税者だけの連合で三重県の知事に立候補して一緒にやりましょうよ。」という三重県の市民の話に感銘し、政府の予算編成を終えた2002年12月24日に辞表を提出した。そして友人と二人で三重県に入り、一切の組合、政党、団体の支援を受けずに、どこまでできるか3ヶ月死にものぐるいでやってみました。450回の集会。退職金はすべて使いました。私は、ただ「感動」を起こしたかったんです。みんながいのちがけで何かをやっている、自分のことよりも子供や孫の事を大切だと言う一念でやってました。
しかし、選挙は戦争のようなものでした。素人集団には厳しい。選挙というよりも、ファンクラブのようなものになりやすい。この純粋さとパワーをどうやって形にしてゆくか、これからの課題はこれだと思います。
もう一つは、選挙になると政策が語られない。名前の連呼や握手の仕方を学び、受験のテクニックのようなものを当然としている若い政治家が多いことが問題だと感じました。政治家になるのだったら、本当の社会への憤り、矛盾を感じ、悩んだことのある方に政治家になってほしいと思います。

■落選後、現在まで
まさかの落選。そして失業。これからどうしようかと考えました。しかし、ますます「日本を変えなくては」という思いは強くなっていました。 自分のキャリアを売りにして、行革請負人として自治体を渡り歩こう、そうすれば、後進に新しいキャリア・パスを作れるのではないかと思いましたが、幸い、関西学院大学に拾われました。今後は、10の対立軸の図式から現代社会、世の中をとらえなおしてみたいと思っています。視点を変えてデザインするもう一つの日本を考え、生活に密着した具体的な政策提言をしてゆきたいと思います。本当の意味での政策の在り方にせまってまいりたいと思っています。 

(了・文責 一新塾事務局長 森嶋伸夫)

村尾信尚氏(NPO「WHY NOT」創設者)講義(NPO「WHY NOT」創設者)
≪講師プロフィール≫
村尾信尚氏(ホームページへ)
NPO「WHY NOT」創設者)
岐阜県飛騨の高山出身。
大学卒業後、大蔵省に勤務。官僚として約20年勤務。
1995年7月、 当時、北川知事による行政改革を始めていた三重県へ大蔵大臣官房企画官から総務部長としてに出向。
そこへ「カラ出張事件」が起こる。その後、知事の命を受け、先進国を視察。北川行革に反映させ、98年4月に事務事業評価システム統括の初代総務局長になったが、出向期間が終わり、大蔵省に戻る。
三重県での経験により、2001年2月には納税者のためのNPO「WHY NOT」を設立。
2002年12月24日に大蔵省に辞表提出。
2003年3月三重県知事選挙に出馬するが、落選。
現在は関西学院大学教授を勤める。
村尾信尚氏(NPO「WHY NOT」創設者)(NPO「WHY NOT」創設者)講義
「情報公開と説明責任、行政改革はこの二つです。要は腹が座っている奴がいて、情報公開を徹底的にやるか、説明責任、どこまで本気になってその事業をつけたのかを言えるか、迫力持って示す、そうすれば役所は納税者を24時間意識して仕事せざるをえなくなる、そういうとこまでリスクをとってどこまで追い込めるか。」

マニフェストと名乗るからには、せめて歳入と歳出のバランスシートくらいは冒頭部分で示すべき。少なくとも4年分は。政策でどうにもならないような指標にまで数値目標を置くのはどうかと。自民党が政権を維持したが、自民党のマニフェストから皆さんは具体的な実現されるものがイメージできますか?
村尾信尚氏(NPO「WHY NOT」創設者)(NPO「WHY NOT」創設者)講義
「選挙公約は公共サービスの購入注文書のようなものです。なのに、供給者の側が一方的に作るのはおかしいのではないか?受け手の我々からオーダーメイドの公共サービスの注文をしたっていいのではないだろうか?有権者から要求をして実現したら?それで私はNPO『WHY NOT』をつくったのです。」
村尾信尚氏(NPO「WHY NOT」創設者)(NPO「WHY NOT」創設者)講義での質疑風景

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