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一新塾講義録(2003年12月3日19:30〜21:30)
「ドキュメンタリストの社会への関わり方」
ジャン・ユンカーマン氏
(映画監督)
今回は、一新塾理事の前澤哲爾氏のご紹介で、特別にドキュメンタリー映画監督、ジャン・ユンカーマン氏が講義に来て下さいました。現在、縁あって日本で御活躍のジャン氏は、2002年米国同時多発テロ以降のアメリカの姿勢を一貫して批判している言語学者ノーム・チョムスキー博士のドキュメンタリー映画『チョムスキー9・11ーPower
and Terror』の映画を制作され、現在10万人の方がこの映画を観ています。まるで、チョムスキー氏と目の前で向き合って話を聞いているかのように感じられる映画となっています。ほとんどがチョムスキー氏の講演会の様子とインタビューで構成され、冷静に、淡々と語るチョムスキー氏の深い感情が、考え方が伝わってきます。今回の講義までに一新塾では、この映画の上映会を幾度かさせていただきました。今回の講義の直前にも映画を上映させていただき、講義の場を迎えさせていただきました。
まず、映画の感想を塾生から話をさせていただき、インタビュー形式で講義をすすめさせていただくことにしました。
【インタビューの内容】
(1)なぜ映画監督を志されたのでしょうか?
(2)ドキュメンタリーが社会に及ぼす影響力についてどのように考えていらっしゃるのでしょうか?
(3)チョムスキー9.11を撮ろうとした動機と実際に撮ってみて、いかがだったでしょうか?また、社会にどんな影響を与えたのでしょうか?
(4)なぜ、高校留学や活動場所として日本という「場」を選んだのでしょうか?
(5)日本の抱える一番の問題は何だとお考えでしょうか?それに対してドキュメンタリーはどんな可能性を持っているでしょうか?
(6)日米を行き来されてお仕事されていますが、日米間の社会問題解決における違いをどのように感じていらっしゃいますでしょうか?米国での面白い事例はございませんでしょうか?
上記の質問を通して、さまざまな話をしてくださいました。以下はその一部です。
■ 映画の感想が一番の興味
「映画を作ると、みなさんの感想が一番興味あります。みなさんの考えを聞きたい。映画を、チョムスキーの意見をみなさんに投げて、それをどう思うかはみなさんの判断です。それを是非聞きたいですね。」ということで、映画の感想を数名が話させていただきました。
「1回目、涙が出ました。2回目も終わってから涙が出ました。知識人に出会ったと感じました。」
「1回目は良く分からない感じだった。時間がたってだんだんつながってきた。2回めはすっと入ってきた。」
「チョムスキーさんはマイノリティの方で、映画の作り方をみて彼の独演会で一方的だと。反対意見をもつマジョリティとのディスカッションの場面やディベートを入れてもっと立体的にしたほうがよかったのではないでしょうか?」
(にこやかに感想を聞かれているジャン氏)
■ なぜ映画監督になったのか?
60年代、僕はアメリカの市民権運動さかんな町で育った。黒人のデモもあった。ベトナム戦争で反戦デモにも参加していた。二度と戦争が起こらないような社会運動にかかわろうと思っていました。色々ためしてみました。新聞記者からジャーナリズムへ。そしてドキュメンタリーへ。フリーライター時代は孤独だった。自分がつくったものと読んでくれる方との接触がなかった。
たまたま映画をつくる機会があって。映画は長い間、どういうものを作るか、協同で磨きながら大勢の方の時間をつかってやる。そしてできあがったものを、みんなで見て話し合いができる。自分が映画に興味を持ちはじめた頃は、ドキュメンタリー映画がアメリカでさかんな時期で最初、広島の映画を撮りました。ベトナム戦争のことなど社会的なものが。その後に社会的なものが売れなくなってきた。真正面から社会的なものを撮ることは長い間撮れなくなった。
自分は文化的な方向にいった。「老人と海」とか日本の庭園とかを撮ったり。間接的には環境問題とかにつながっていたんだけど。
でもちょうど、911が起こって、真正面からそういう問題を取り上げなければならないという責任感があって、たまたまシグロの社長と気持ちが同じだったんで制作することにしました。考えていたより大勢の方がみてくださった。今まで10万人くらいの方が見てくれている。この映画だけじゃなくてアメリカではキッシンジャーやキューバなど政治的なものをとりあげているドキュメンタリーが人が入るようになってきた。風の向きが変わってきたということかなあと。といっても10万人しか観ていないんですが。ドキュメンタリーの映画の社会的影響力は正直いって弱いと思う。今は情報の時代なんで、情報が海のようにあるから。
もう一つの方向からみれば、チョムスキーの影響力、彼が話していること、長い間40年話していることが色んな人の耳に入ってじっくりとひろがっている。観客は熱くなっていないというけど、彼は冷静に事実を話して「あなたに任せるよ、あなたの責任だよ」と話しているだけ。どうですか?と。みんなが色んな宿題をもって会場から帰るんだと思う。少しずつチョムスキーの話していたことを頭の中にいれて新聞読んだりブッシュの話を聞いたりする。一晩で変わるわけじゃない。今までと違って疑問をもって聞いたりする。ちょっと違うんじゃないかとか。
テレビは1、2ヶ月でつくっちゃうけど、ドキュメンタリー映画は違う。色や音も時間かけて音楽も映像も磨いて磨いて。テレビは忘れてしまうけど、ドキュメンタリー映画は、一年たってからも映像が残っている。見たことの意義が残ると思う。
■日本人にチョムスキーを紹介したかった
僕はチョムスキーのファン。僕の考え方とほとんど一緒だと思っています。
オブジェクティブで見たチョムスキーは違うんですね。僕は「こういう意見もこういう意見もあるんだ」というぬるい映画はいやなんです。(笑)チョムスキーは最近日本にきていないので、日本人がチョムスキーの講演を聞く機会がないので、チョムスキーの像を見せたかったんです。(だから批評家には一方的とか言われてしまったりするんだけど)
この映画は彼の一番鋭いところを選んでつないだという、、。僕はドキュメンタリ−=真実 ではなく、メッセージだと思っています。僕はどこかで自分が求めているから映画をつくるんだけど、希望につながるところを映画にしています。
あまり批判ばかりしたり、かわいそうだとか、わかる(理解する)必要はあるだろうけど。
広島の映画にしても、(1987年、映画『劫火一ヒロシマからの旅』を監督。米国アカデミー賞記録映画部門にノミネート。)彼等が成長してきたということがまた希望が道があるんだと。
そういう意味では僕がつくる映画は独断なんだと思うんだけど。(笑)
プロパガンダと違うのは、その方針を僕は隠してないということ。嘘をつけてないんですね。これが本当のチョムスキーなんだから。(笑)見に来てくれた方の反応は、批評だけを見ると結構批判が多くて、一つは(チョムスキーの)一方的なものだということで。僕はほとんどチョムスキーのことを知らない日本人がメインのオーディエンスでチョムスキーの紹介をしたかったから。彼の考えは簡単に一つではないし、まとまらないし結論もない、例をあげてゆく話し方だから省略すると中身がなくなっちゃうし。それで、このようになったわけです。
■この映画のつくりかた
この映画のつくりは簡単ですね。撮影から完成まで4ヶ月くらいだし。
工夫したのは「チョムスキーが何を言いたいのか」を理解して、わかりやすいように構成すること。
彼がどういう風に世の中をみているか。彼はどう考えているか、はとても深い。彼がどういう人間でどのように観客と接しているか、根本的な彼の考え方と人間性が一致している、その生き方そのもの。というのは彼にはエージェントがいないんです。
だから、この映画の依頼も直接メールで依頼しました。そしたら次の日に返事が来ました。
簡単な短い返事じゃなくて、私達の書いたものを分析して、長いものでした。彼の時間の使い方は、どんな立場の方も差別しないんです。私達が依頼のために書いた手紙と彼からの返事はホームページに公開しています。(ノームチョムスキー氏にあてた手紙(とその答え) 手紙の差出人は映画の供給先シグロの山上さん)
彼はそういう態度をもった人。彼はアナキストなんだけど、極端な民主主義ということだけど、イデオロギーだけじゃなくて、ひとり一人を大切にするという、彼のそういうところが映画だとわかる。本はおもしろいけどドライに感じる方がいる。でも映画では彼の人間性が出ているし感じてもらえたと思う。
手紙は色々考えたんだけど、(笑)映画をつくる会社のシグロは自主上映を30年やってきた会社。放映のためではなくて映画監督が自主上映のために作ることを強調しました。チョムスキーは私達をただのインタビュアーではなく仲間として彼の活動と同じ方針でやっていると暖かく受け入れてくれました。
(了・文責 一新塾事務局長 森嶋伸夫)
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≪講師プロフィール≫
ジャン・ユンカーマン氏
(映画監督)
1952年、米国ミルウォーキーに生まれる。
スタンフォード大学東洋文学語科卒業。
ウィスコンシン大学大学院修士課程修了。
国際政治、経済、労働運動、環境問題などの分野でジャーナリストとして活躍。
そのかたわら、映像の世界へも道を拓く。
1987年、映画『劫火一ヒロシマからの旅』を監督。米国アカデミー賞記録映画部門にノミネート。
2002年米国同時多発テロ以降のアメリカの姿勢を一貫して批判している言語学者ノーム・チョムスキー博士のドキュメンタリー映画『チョムスキー9・11ーPower
and Terror』を制作。参考HP:『チョムスキー9・11〜Power
and Terror』公式HP
【主な作品】
■“The Mississippi: River of Song”(スミソニアン研究所、カジマ・ビジョン共同制作 ミシシッピ川流域の現代音楽を紹介するドキュメンタリー映画シリーズ・1993〜1999年)制作・監督。1999年1〜3月にかけ、全米のPBS(公共放送)系テレビ局で放映。日本語版『歌うアメリカ』(解説ピーター・バラカン)も制作。
■“I’ll Be Coming Around”(フォークロック・グループ The Bottle Rocksの音楽ビデオ・1996年)
監督
■『夢窓〜庭との語らい』(英語題名“Dream Window”)(米国スミソニアン研究所制作、日本庭園の映画・1992年)を監督。NHK教育テレビとアメリカPBS系テレビ局で放映。同作品は1993年の米国エミー賞(テレビに与えられる最高の賞)などを受賞。
■『Mr.ベースボール』(ユニバーサル映画・1992年)の原作執筆。
トム・セレック主演。米国、日本をはじめ世界各地で上映。
■『日本の伝統的産業工芸作品全集』(ダイヤモンド社刊・1991年)監督 英語版も監督。同作品(全八本のビデオ映画)は、豪華写真集とセットで販売され、各地の図書館などにも寄贈された。
■『老人と海』(シグロ制作・1990年)監督。
沖縄与那国島でカジキ漁をする82歳の老人の姿を描いたドキュメンタリー映画。全国映画館で一般公開。その後、NHKで放映。英語版“Uminchu”も制作・監督。
■『劫火』(自主制作・1986年)制作・監督。
「原爆画家」として世界的に知られる丸木位里・俊夫妻を描いたドキュメンタリー映画。同作品の英語版“Hellfire”は1988年度アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネート。サンフランシスコ映画祭金賞その他を受賞。
【その他】
■中央公論『拝啓 マッカーサー元帥様』(袖井林二郎著)英訳
■講談社『英語で答える!外国人の困った質問』(2000年)松本薫と共著
■講談社『日常会話なのに辞書にのっていない英語の本』(1998年)松本薫と共著
■岩波書店『私たちは敵だったのか』(袖井林二郎著)英訳
■講談社『ちょっとした話し方 アメリカ口語』(1993年)松本薫と共著、のちに文庫化。
■講談社インターナショナル刊“The Hiroshima Murals:The Artof Iri Maruki and Toshi
Maruki”(丸木夫妻の画集)の編集と英訳
■講談社インターナショナル刊“Encyclopedia of Japan”(日本に関する英語版百科事典)編集
■ハーバード・ビジネススクール(ハーバード大大学院)研究誌“Harvard Business School Division of
Research”の調査と編集(1983〜1988年)
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前澤哲爾氏:「市民が撮る作品は増えています。基本的にはメッセージをつくるためにドキュメンタリ−を作るんですね。手法じゃないんです。自分の言いたいことを伝えるために一番簡単で素朴なものがドキュメンタリーです。
ドキュメンタリーは人に見せることまで考えないと成り立たないんですよ。どうやって上映まで結びつけるかということになると、ほとんど採算の余地があわない。だから、ジャンさんの例は希有の例です。山形ドキュメンタリー映画祭というのがありますが、みんな、ほとんど食べられません。自分のメッセージ=強い「言わなくちゃならないこと」を作っている人が作っているという。だから手法ではないと。」
最後に一新塾理事の前澤氏が「ドキュメンタリー映画」とはなんぞや、について力説! |
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