一新塾ニュース
9月29日号(第10号)

テーマ: 「少年犯罪」


 4月から始まった一新塾ニュースは今回10回目を迎えました。今後もさまざまな立場で社会について考えて行きたいと思っています。今回は現在第7期の塾生、西川さんより少年犯罪についていただきました。

【第10回テーマ】 「少年犯罪」

 皆さんこんにちは。一新塾第7期ビジョン探究コース本科生の西川利敬と申します。今回は、今話題となっている少年犯罪についていろんな角度から意見を述べさせていただきます。一市民からの意見ですので粗雑な点もありますが、おつきあいください。

1.少年犯罪の現状

「17歳の犯罪」が注目されています。週刊誌では特集のオンパレード。この記事で儲けている人がきっとたくさんいるのでしょう。たしかに記事だけ見ていると、犯罪件数がかなり増加しているように思えますが、実際そんなことはありません。問題は犯罪の「質的変化」でしょう。つまり、単独犯化しているということです。14歳から19歳までの犯罪なんて今までも頻繁にありました。「名古屋アベック殺人事件」や「綾瀬女子高生コンクリート詰め事件」はご存知でしょう。これらに代表されるように今までは加害者が集団でした。しかし今では一人で犯罪を遂げています。集団の場合、責任のなすりつけ合いがおこりますが、供述は得やすいのです。というのも、集団心理が働いて大事件に発展する場合がほとんどなので、個々の少年に強い犯罪動機や計画性がなく、また取調べに耐えるだけの精神的な強さがないからです。よくいえば、素直なのでしょう。ですから、供述を統合することで事件の全体像がだんだん見えてくるのです。警察の方もまだやりやすかったといっていました。しかし単独犯の場合犯行が極めて計画的ですし、一人で遂行する強さを持っているので、なかなか供述しないのが現状です。取調べの対象が絞れる反面、動機の解明を精神分析から行わなくてはならないので大変でしょう。根気の要る作業です。ですから17歳ということだけに注目せず、犯罪の「質」に焦点を当てる必要性があるようです。

2.少年犯罪と精神障害

最近の事件では加害者に何らかの精神異常がみられます。病院への通院歴があったり、そうではないにしても言動がおかしかったり。問題は、加害者を免責するために精神鑑定が使われているのではないかということ。逮捕後すぐに「精神鑑定」の話題がでますが、儀式化しているようです。これは、少年事件に限りませんが、日本では精神に障害があると腫れ物に触るかのごとき扱いをするのです。犯罪の解明や処罰といった考えが一瞬にして消え去るのです。これはおかしいのではないでしょうか。精神に障害があろうがなかろうが事件は起こったのです。そして被害者もいます。医療少年院送致という選択もありますが、障害の回復に役立っているという話は聞きません。この点、欧米では「精神障害のため責任能力はないが有罪」という判決が多数出ています。犯罪を犯した本人がどうであれ罪は償ってもらう、さもなければ社会復帰させない、というのが主旨だそうです。精神に問題があればとにかく「無罪」にする日本とは対照的です。

3.少年法のねらい

少年法は「少年の保護」を目的にしています。でも「保護」って甘やかすことなのでしょうか。厳罰化は巷で議論されているのでここでは触れませんが、加害者が「少年」であるとわかったとたん司法全体が弱腰になります。具体的には事実認定の甘さです。周囲のさまざまな人に詳しい事情を聞いたり、少年の環境を徹底的に調べたりすることが少ない。理由はただひとつ「少年のプライバシー保護」。明らかにおかしいのでは。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。「罪を」きちんと憎んで明らかにするのであれば納得します。でも、今の日本の制度は、罪すらも憎まないのです。要は何にもしない。皆で少年を大事に大事にする。少年も人である以上プライバシーはあります。でもプライバシー権は絶対の権利ではありません。他の人の権利を侵すことができないのは当然のこと、特にこのケースでは、犯罪という司法全体にかかわることが問題になっているんです。プライバシー権に制約が加えられるのは当たり前です。「権利」と聞けばなんでも許してしまう日本人の悪い癖です。少年だからプライバシー権が拡大し、大人なら縮小する。そんな風船みたいな扱いをするのは日本だけです。そして、それがいい方向に利用されているのなら文句はありませんが、実際は「保護主義」をいいことに犯罪を犯す者が大半です。かつてアメリカの少年法も温和な保護主義でしたが、それを理由に犯罪を行った少年は少なかったのです。ですから、厳罰化しても犯罪が減らなかったわけです。
4.少年裁判の現状

少し前、山口県で起きた「母子殺害事件」の一審判決がでました。被告人は、確か19歳だったと思います。判決は、無期懲役。理由は「更生の可能性があるから」だそうです。遺族である20代の父親は当然怒り、控訴しました。よく考えてください。2人亡くなっているんですよ。そして、この国は法律で堂々と死刑を掲げています。なぜ使わないのでしょう。確かに制度の存在と運用の当否は別問題だ、とする意見もあるでしょう。でもこれだけは断言できます。運用できないものを法律としておいてはいけないんです。なぜなら、法律は生き物だからです。まあ日本のように憲法改正がタブーとされ、法律の改正すらあまりなされない硬直国家では仕方がないのかもしれませんが。加えて「更生の可能性がある」なんて断言できるのでしょうか。可能性なんて現在から見た推測ですよね。温情措置の何者でもありません。この事件は、母子殺害とレイプの両方がなされているんです。レイプ、それも少年が行った場合には再犯率が極めて高いことはもう統計上常識です。にもかかわらず、「更生」を期待する。私は裁判官に「少年がやったことを冷静にかつ客観的に判断しなさい」と言いたい。更に、厳しいことを加えれば「この少年は更生する必要はない」ということも。「可能性」を考えるだけ無駄ということです。まず、犯罪者を更生させるために私たちの税金が使われていることを忘れてはなりません。次に、司法の目的は、人権保障だけではありません。社会秩序の維持だって立派な目的です。レイプした上2人殺して、しかも無期懲役ということは釈放されて社会に戻れるのが通常。こんなことがまかり通って、社会秩序なんて維持できるのでしょうか。「殺され損」「犯罪やり得」の社会が出来上がるだけです。一人の人間を甘やかしたために多くの国民が泣くことを、司法の人間はもっと知るべきです。

5.最後に

少し過激なことも申し上げましたが、少年犯罪の実情を記してきました。子供への対応については、教育の側面からかなり議論が進んでいるようですが、司法の角度からはまだまだです。また、少年事件の被害者・遺族に対する補償などの制度は極めて未熟です。傷ついているのは「少年本人」という議論がかなりなされていますが、違います。肉体的にも精神的にも傷ついているのは「被害者」です。そして、その傷は何年も何十年も癒されることはありません。遺族は、少年に対する復讐心とそんなことをしても被害者は浮かばれないという相反する気持ちの中で毎日を暮らすことになります。そして、裁判の進展状況や少年についての情報は何一つ知らされません。これが日本の現状です。少年のプライバシー保護のもと、情報公開がなされないがゆえに、やり場のない孤独感にさいなまれてしまうのです。少年裁判がかわってもこの国が変わるとは思えません。しかし、変わるきっかけにはなります。私は、これからも絶えず注目し機会があれば意見を発表していこうと思っています。拙い文章におつきあいいただき、ありがとうございました。少年犯罪につき、改めて考えるきっかけにしていただければ幸いです。

西川 利敬


※西川利敬(にしかわとしのり)プロフィール
大学入学時より少年犯罪や企業犯罪、組織暴力団犯罪に興味を持つ。
卒業後は都市銀行に勤務。営業の仕事に従事するも、法律家への夢を捨てるこ
とができず、3年で退職。現在は司法試験受験生。一新塾第7期生。

 

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