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一新塾ニュース 第79号
発行日:2003年2月24日
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米国議会と日本の国会
私は、2000年5月から2002年5月の2年間、ワシントンの在米日本大使館書記官として、米国議会の動向のフォローに従事した。
日本では、何かにつけ「米国ではこうだ」と言いたがる輩が多いが、「米国議会はすばらしいか」と問われれば、私の答えは否である。例えば、中間選挙が行われた昨年の米国議会では、議員は選挙活動のため金曜日の午後には地元に戻り火曜の朝までワシントンに戻って来ないというどこかで見覚えのある風景が日常であったし、民主、共和両党の対立のため重要法案が暗礁に乗り上げることもしばしばであった。またpork
barrelと呼ばれる選挙区への利益誘導は日本より露骨なくらいだし、コーザイン上院議員(民・NJ)が2000年の選挙で6,000万ドル以上の私財を投じたと言われるように政治に金がかかるのは日本の比ではない。
しかし、問いを変えて「米国議会は日本の議会よりましか」とすれば、残念ながら首を縦に振らざるを得ないだろう。米国議会の特徴を法案審議過程に絞って端的に言うと、法案の提出・修正が柔軟でありそれが国民の目に見えるようになっていること、党議拘束がなく議員は案件ごとに投票行動を決めるので有権者は投票履歴を見て議員活動を評価することができることにあると言える。
これに対して、日本では、法案の提出は、各省を中心に行われ、厳格な法制局審査、与党内審査を経て、閣議決定に付され提出される。その過程で本来国会での審議を通して行われるべき関係者間の利害調整は、国民の目に見えないところで行われ、国会では、ほとんどの法案が修正も行われることもないまま、与党の決定を追認する形で可決される。これでは、法案を立案し、与党への根回しを通じて関係者の利害調整に当たる官僚が力を有するのは当然である。
日本の国会に最も求められていること、それは、立法という作業を通して行われる有権者の意思の反映及び利害調整を本来のステージである国会での審議に取り戻し国民の目に見えるようにすること及びそこに国民が積極的にコミットしていくことである。では、そのためには何が必要なのか、それをつきつめて考えると、「どうせ政治は変わらない」と諦めるのではなく「政治を変えられるのは国民だけだ」という意識の下、有権者が見識を高め、声を発していくことしかない。そして、それは取りも直さず一新塾の目指す、「主体的市民の創造」に他ならないと信ずる。