

大前研一氏
(一新塾創設者・平成維新の会設立者・経営コンサルタント・学校経営者)
一新塾は1994年に大前研一氏によって創設されました。
「ゼロベースからの改革は
主体的な市民によってこそ可能である」
この大前氏の言葉が一新塾の原点です。
1943年、福岡生まれの大前研一氏。
早稲田大学理工学部を卒業後、東京工業大学大学院に進み原子核工学科で修士号を、その後、マサチューセッツ工科大学大学院で原子力工学科の博士号を取得。
1970年に社会に出て、日立製作所で原子炉エンジニアに。しかし、日本独自の原子炉を造ることが求められていないことが一つの理由となって、わずか2年で日立を辞めます。
1972年、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。経営コンサルタントとしての快進撃が始まります。グローバルな視点と大胆な発想で、世界の大企業やシンガポールのリー・クアン・ユー首相、マレーシアのマハティール首相をはじめ、アジア・太平洋諸国のアドバイザーとして力を発揮。(イギリスのエコノミスト誌は、ピーター・ドラッカー、トム・ピーターズなどと共に、現代世界・5人の思想的リーダーに大前研一氏の名前を挙げている。)
1992年、政策市民集団「平成維新の会」を設立。生活者主権の国づくりを目指す。
1994年、51歳、「平成維新の会」に専念すべく、20年以上務めたマッキンゼーを退社。直後に、人材発掘・育成の場として「一新塾」を設立。
大前氏は、ゼロベースでビジョンを描き、 しがらみにまみれることなく、プライドを横において、一市民に立ち戻り、 身を投じて、愚直なまでにまっすぐ突き進まれました。
その姿勢に学ばせていただくところから始まった一新塾。多様な社会変革者の講師の方々もお迎えして「主体的市民として生き、社会を変える」塾生の挑戦が積み上がってまいりました。
2003年には、NPO法人となり、運営体制は変わりましたが、創設者の大前氏の歩みや、講師の方からの知恵、ここで学ばれた塾生の挑戦によって生み出された具体的な独自の方法論を、市民の知恵として蓄積し、次なる方に伝承し続けています。
【 大前研一氏 プロフィール 】
1943年、福岡県に生まれる。
早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学 大学院原子核工学科で修士号を、
マサチューセッツ工科大学大学院原子力 工学科で博士号を取得。
株式会社日立製作所原子力開発部技師を経て、
1972年、マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社。
以来ディレクター、 日本支社長、アジア太平洋地区会長を務める。
1992年には政策市民集団「平成維新の会」を設立、代表に就任。
1994年には20年以上勤めたマッキンゼー・アンド・カンパニーを退職。
同年、 「一新塾」を設立し、2002年9月まで塾長として就任。
現在はファウンダー。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院公共政策学部教授、
ビジネス・ブレークスルー大学大学院学長、ビジネス・ブレークスルー大学学長、
オーストラリアのボンド大学の評議員(Trustee)兼教授、
韓国の梨花大学国際 大学院名誉教授、高麗大学名誉客員教授、
ペンシルベニア大学ウォートンスクール SEIセンターのボードメンバーに就任するなど、
教育にも深く携わっている。
ビジネス・ブレークスルー大学大学院学長、ビジネス・ブレークスルー大学学長。
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2015年9月13日、一新塾20周年特別講義が行われました。

【一新塾20周年記念】
一新塾創設者 大前研一氏 特別講義 「目覚めよ市民!生活者主権の国づくり」